高級クリスタルブランド・ラリック 公式サイト

創始者 ルネ・ラリックについて

2010年ルネ・ラリックは生誕150周年を迎えました。

ラリックの創始者ルネ・ラリックは1860年にシャンパーニュに生まれました。
パリとロンドンで装飾工芸を学んだ後、1885年からアール・ヌーボー様式で名高いジュエリー作品を次々に発表し、宝飾デザインの世界に革命的な変革をもたらし、その後1900年のパリ万国博覧会でその名は世界に知れわたります。有名ジュエラーにデザイン制作販売をしておりましたが、1905年に老舗ジュエラーのひしめくヴァンドーム広場24番地に店を構えました。
当時、ラリックといえば最先端を行くモダンジュエリーの代名詞だったのです。

1907年、転機が訪れます。香水商フランソワ・コティの依頼を受けて香水瓶のデザインに着手し、繊細で美しい香水瓶の量産に成功。またたくまにルネ・ラリックのデザインした香水瓶は世界中の女性の憧れとなりました。これをきっかけにルネ・ラリックはガラス工芸に転進します。
以後、アール・デコ国際展覧会(1925年、パリ)のシンボルとなった巨大なガラスの噴水、オリエント急行や大西洋横断客船「ノルマンディー」号の内装、朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)の正面玄関を飾る女神像のレリーフを初め、歴史に残る名作を次々に発表。こうしてラリックはアールデコのガラス工芸をリードする代表的工芸家と注目されるようになりました。
作品の主なテーマとなったのは自然の美でした。花や樹木、昆虫、動物、そして神秘的な女性像。卓越したデッサン力と構成力によりデザインされたモチーフは、世界最高の技を誇る多彩なサティナージュ(フロスト加工)をはじめ、あらゆる装飾の技法を駆使してニュアンス豊かに表現されます。
現在でも多くのコレクターを抱えるルネ・ラリックの創造性は、ラリックのアイデンティティとして受け継がれています。

年表

1860
4月6日、ルネ・ラリック、母方の故郷であるシャンパーニュ地方マルヌ県アイに生まれる。少年時代はパリで過ごす。幼少のころより、デッサンの才能と自然に対する深い愛好心をみせる。
1876
父親が死亡。母の勧めで、パリの宝飾細工師ルイ・オーコックに弟子入りする。宝飾装身具の技術を習得。デザインも続け、パリの装飾美術学校に通う。
1878-1881
イギリスに滞在し、シデナムの美術学校に通う。帰国後、彫像作家ルキアンの元で彫刻の技術をみにつける。
1882-1885
自宅で宝飾デザイナーとして独立。カルティエ、ブシュロン、ジャクタ等の有名宝飾店に、全く新しい宝石のデザインを供給する。
1886
パリのゲイヨン広場にあるジュール・デスタップのアトリエを買い取り、そこで自身の作品の制作を開始。パリの高級宝石店のショ-ウィンドウに陳列された作品は、大衆の注目を集め、またたくまに大成功を収めた。
1888
ルネ・ラリック(René Lalique)、“RL”という商標を登録し、オリジナル作品に使用する。古代ギリシア・ローマとジャポニズムからインスピレーションを得た、装飾用の彫金のアクセサリーを制作する。
1890
オペラ地区のテレーズ通り20番地に、新しいアトリエを開く。ガラスの分野での最初の実験と、製作はこの頃より始まる。
1893-1898
様々なサロンと展覧会に作品を発表し、その才能により公的な賞と名声を得る。1897年、レジヨン・ドヌ―ル「シュヴァリエ」勲章を受章する。女優サラ・ベルナールに出会い、10月31日ルネサンス座で初演されたヴィクトリアン・サルドゥーによる戯曲「ジスモンダ」のための宝飾品を制作。
1900
パリ万国博覧会はルネ・ラリックの宝飾作家としての業績の極致であった。ルネ・ラリックは「モダン・ジュエリーの発案者」として高く評価される。
1902
オーギュスティーヌ・ルドリュと結婚。パリのクール・ラ・レーヌ通り40番地にある個人の邸宅を新築。この建物は同時にアトリエ、住居、展示ホールとなった。
1905
ヴァンドーム広場にブティックを開設。宝飾品だけでなく、ガラスのオブジェも展示する。パリ郊外ランブイエの森に接したクレールフォンテーヌの所有地にある小さなアトリエで制作されていた。この頃、香水商フランソワ・コティと出会い、香水瓶の制作を始める。
1909
パリ東方コンブ・ラ・ヴィルにガラス工場を借りる。
1911
ヴァンドーム広場にて、ガラスだけの最初の展示会を開催。この時代から、宝飾工芸を放棄する。
1912
ヴァンドーム広場にて、最後の宝飾展示会。
1913
1909年から借りているコンブ・ラ・ヴィルでのガラス製造用向けにヴォー・ラ・レーヌに風車小屋を購入。
1914-1918
第1次世界大戦間、コンブ・ラ・ヴィルの工場で、病院と製薬業界向けにガラス製の実験用具を製造する。
1919
ガラス製品の制作に適し、とりわけ熟練の職人のいる場所を探しにロレーヌとアルザスに赴く。当時のフランス共和国大統領であり、ガラス製品の愛好家であるアレクサンドル・ミルランに、ヴィンゲン=シュール=モデールでの工場設置を提案される。
1921
ガラス作品の成功により、アルザス地方ヴィンゲン=シュール=モデールの地に第二の工場を設置。
1922
ストラスブールにあるパストゥール博物館のガラス製の扉のレリーフを制作。
1925
パリでアール・デコ博覧会開催。アール・デコが大好評を博す。ルネ・ラリックにとってのガラス制作の絶好期。香水瓶、オーナメント、装飾模様、花器、ボウル、テーブル用オブジェ、ランプ、インテリア・デコレーション作品等の様々な作品を展示する。ラインは洗練され、時に幾何学的だが、非常に自然主義的な植物、動物、女性の彫刻によって常に和らげられている。素材の加工面では彼のスタイルは、主として、有名なクリア・ガラスと、サティナージュ・ガラスのコントラストによって表現される。ラリックは、そこにパチネ、エマイユ、彩色などの技術を加える。この年、レジヨン・ドヌ―ル「コマンドール」を受賞する。
1925-1939
建築装飾の仕事並びに、パリで開催された展覧会に関わる。建築:豪華列車「プルマン・エクスプレス コートタジュール号」、大西洋横断豪華客船「イル・ド・フランス号」、ジャージー島の聖マタイ教会等。展覧会:1931年の「コロニアル」、1933年のルーブル宮マルサン館(現パリ装飾美術館)での大回顧展。1937年のパリ万博等。
1935
ヴァンドーム広場を離れ、パリのロワイヤル通り11番地に新しいブティックを開店。
1940
アルザスの工場がドイツ軍により、接収される。
1945
ルネ・ラリック5月5日にパリにて逝去。工場の再開、並びに生産を見届けることはできなかった。その後、ルネ・ラリックの息子マルク・ラリックがルネの跡を継ぎ、ラリック社の社長として、ラリック社をクリスタルの時代へ導いていく。
1992
ラリック社初の香水への着手。マルク・ラリックの娘マリー=クロード・ラリック主導の下、女性向けのフレグランス、ラリック・ドゥ・ラリックが制作される。
2008
ラリック社がスイスのアート&フレグランス社に買収される。その後ラリック・グループに社名を変更する。ラリック・グループは2008年より、世界的なライフスタイル・ブランドへと生まれ変わるための新しいブランド戦略を実施する。
2011
フランス、アルザス地方ヴィンゲン=シュール=モデールに国立ラリック美術館がオープン。
2015
フランス、アルザスにミシュラン二つ星レストランを擁する五つ星ホテル、ヴィラ・ルネ・ラリックがオープン。